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■青春時代はギターとバイクに夢中...
父が過去、楽団に所属していたので、その影響で、音楽大好き、楽器大好きです。 私は大阪で生まれ育ち、少年時代はフォークの全盛時代でした。私もギターを持って歌うフォークシンガーにあこがれました。 |
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その一方で、映画では、アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』のヨットのワン・シーンにあこがれ、当時のレコードで、4曲入りの太陽シリーズ(太陽がいっぱい、太陽はひとりぼっち、太陽は傷だらけ、太陽の下の18歳・・・)を、何度も何度も聴いていましたね。 『太陽がいっぱい』に登場する女性マルジュ・・・や、アラン・ドロンに、憧れた方も少なくは無いと思います。 |
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この当時、バイクにも夢中でした。 これは 1974年の写真です。 初乗りバイクはDAX50(ノークラッチ)でした。 16歳当時のものです。 |
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そしてギターやバイクに夢中な中高生時代を経て、大学生に。 写真は1976年4月入学式の日に追手門学院大学校内の茶室前で撮影したものです。 |
■大学時代は愛車と共に...車の魅力に目覚める
中学高校時代からカーグラフィック雑誌などをバイブルにし、外車の魅力に目覚ました(特に欧州車)。
大学に入ってから、普通免許証をとり、初めて手に入れたのはフォルクス・ワーゲンです(本当はポルシェに憧れましたが、手が届くはずも無く...)。
当時のドイツ軍の命令で鬼才ポルシェ博士が、水陸両用のタイプも設計したのです。
この白いワーゲンで
1980年、海をバックに撮影したショットを1枚。(バックは金沢、千里浜です)
そして1980年大学4回生の頃、この愛車ワーゲンをアルバイト代で白からワインレッドにリペイントしてもらいました。
写真は、
ワーゲンと当時のご機嫌な笑顔!(1966年式、6ボルト仕様、ダブルバンパーのクラシックなタイプにこだわりました。エアコンも無い夏を苦にもせず、走っていました。)
サーファー仲間や同じビートル仲間が増えたのも、この頃です。
1985年頃 ワーゲンを後輩に譲り、憧れのBMW2002の中古を手に入れました。 今度は、大人の車です。ワーゲンと同じく、故障も少なく、実にいい車でした。 |
■ヨットとの出会い・結婚...
1989年頃、ヨットや船の仕事を一生の仕事に、と決めました。
大阪の忠岡港での1枚(かつて、マーメイド号で、堀江謙一氏が日本人初の太平洋横断のスタートをした記念の港でもあります。今の職場のお隣ですね)。車はBMWから2人の子供が生まれてホンダの経済車になりました。
そして同じ頃、1990年某社の営業時代での1枚。デニス・コナーの本やヨットの雑誌を愛読していました。
今となっては珍しいネクタイ姿の1枚。
■青木ヨットでコバヤンとの出会い
青木ヨットに勤務していた当時、社員旅行の移動中のショット。
そして1992年2月の極寒の洋上にて。前年の秋、台風で沈んだヨットを見事コバヤンが再生、復元したのです。その船を届けるため回航中のショット。
■共同マリンテック誕生 いつもヨットと共に
1993年、独立して共同マリンテックが誕生しました! 「共同マリンテック」という社名の由来は、私、吉田とコバヤンが共同で始めたことからきています。 |
こんな私が、共同マリンテックを切り盛りしています。
今からヨットを始めてみたい方、もっとヨットを楽しみたい方...そんな方と、長いお付き合いをしながらヨットライフを楽しみたいと思っています。
どうぞ、お気軽にお問合わせください!中古ヨット、ボートの買い取り、委託販売真心込めて対応いたします! | ||||||||||
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